大聖堂
この作品を読むと、小説の価値は誰かの意見ではなく、小説を読んで自分が感じることが全てではないかと思ってしまう。
なのでこんな記事なんて、やっぱりチラ裏だよなーとも思ってしまいますが、それでも取り上げられずにはいられない作品です。
カーヴァーに関しては村上春樹訳でいくつもの作品が刊行されていますが、
海外で有名なのは「愛について~」みたいですね。
もちろん「愛について~」も素晴らしい作品です。
なんで「愛について~」が有名なのかなーと考えてみると、こちらの作品はミニマリズムの代表作として捉えられていてそれで有名なのかなーと考えています。
「ダンスしないか?」とか「出かけるって」とか「足元に」とか「深刻な話」とか、シンプルな文体とわずか数ページを使って、文章の裏側で起こっている出来事を強く想起させるような作品が多々あり、外側から見ると凄くミニマルだなーと思います。
(カーヴァー自身が自身の作品をミニマリズムととらえられることについてどう思っていたのか不明なので、あくまで外側からの見解です。)
それに比べると大聖堂は「愛について~」よりも一篇、一篇がかっしりとしている印象です。
ミニマリズムというよりも、普通の短編小説にかなり近い印象です。
(それでもやっぱりカーヴァーっぽいなーと感じはしますが)
それでこの中で一番好きな作品は何と言われれば、やっぱり私は大聖堂。
他にも名作はいくつもありますが、大聖堂がぐっと私の中でこの作品の価値を押し上げています。
この作品、話の展開がすごく好きです。
話の起こりから、終局までの流れは素晴らしいものだと思います。
ここまで綺麗な流れの短編小説も中々ないです。
でも、私がこの作品で一番気に入っているのは、その流れの展開を支える仕掛けかなと。
詳しい仕掛けはここでは取り上げませんが、
その仕掛けの中心にあるのは想像力、もしくは相手の立場で想像することだと思っています。
その想像するまでの流れが頭の中に線を思い浮かび、線をつなげ、一つの形をつくるというのが、小説的で、むしろ小説そのものではないかなと思います。
その終局まで着く流れと、その根底にある想像と理解のテーマがとても好きな作品です。